仮面ライダー鎧武を見ました
作業の間はアマプラでアニメとか流してるんですけど、なんとなくずっと気になっていた仮面ライダー鎧武を見ることに。
現在本編+映画3本を見終えました。
元々特撮界隈に疎く、事前の知識もまっさらな状態から純粋に”仮面ライダー鎧武”という作品を単体で見た初見オタクの感想です。
(追記:数日で詰め込んだので紘汰(コウタ)のことずっとコージって書いてるね…)
まずね、私こういう人間関係をじっくりコトコト煮込んだ蠱毒みたいなの大好き。
私もそれなりにジャンル幅広く色々見てきたオタクなので1話の段階から「ああ、こうなるんだろうな」とか予想はついてました。
怪物の正体はあれで、それに気づいて無理になっちゃうんだろうなとか、あの女の子の正体はこういうやつなんだろうなとか。
結果としてそれは当たっていたんですが、「やっぱりね~」にはならなかった。
結果に至るまでの過程が凄すぎる。
伏線の張り方がめちゃくちゃ繊細で、あの子からあの子への視線が…とか、この時何か言おうとしたのに何も言えないどころか速攻でシーン切り替わるやん…?とか。
この作品の中に明確な正義や悪はなく、皆信じる未来へと歩んでいく中でぶつかり合うだけ、というなんともいえない歯がゆさがあります。
視聴者は誰に肩入れするでもなく、ただただみんなが一生懸命進む様を見守ることになるんですが、それぞれのキャラへのヘイトの溜め方がすごい。
私が「おぉ…」となったのが、ミッチが裏切る前、仮面ライダー大戦?の映画のやつで、コージが猪突猛進なのを焦って止めようとするミッチ、に気づかず前しか見てないコージ、を見てイラつきを抑えながら諦めるミッチ。
こういうのの積み重なりなんだよね。
家族や友人でもこういう風に日々ちょっとずつイライラが溜まって、別に嫌いなわけじゃないけど怒りたくなる時がある。
そういう些細なヘイトの積み重ねで大きな亀裂が入る。自然な導入に舌を巻きます。
それぞれの守りたいもの、進みたい道がうまく伝わらずに”敵”という存在に変貌してしまう。
まさに戦国時代の同盟、裏切り、戦い…
味方でさえお互いの考えを100%「それ正解!そうしよ!」と思っているわけではなく、「部分的にそう」「結果的にそうだけど過程は違う」などの細かい思考の分岐があり、それによってその時その時の行動が決まっていく。
まるで現実の人間関係のような相関図を子供向けの特撮で表現できる手腕に脱帽。
特に、長編作品の映画といえばその場限りで倒されて終わりの敵キャラですが、鎧武の最終回で登場した敵キャラがわからなくて「え~なに?どういうこと?視聴者の想像にまかせる系?」と思っていたら映画のほうにボス敵として出てきたのは最高だった。
「誰なんだこれ、わからん」からのあの時系列を知って「なるほど!?」ってなる感覚、事前の知識を得ずに見た人間ならではの興奮で大変楽しかったです。
仮面ライダー大戦のやつも、「まーた適当なイメージ映像つくっちゃって笑」とか思ってたんだけど、放送枠を争っているという意味だとわかると「ヤベー…」てなる。
斬月と龍玄は主人公に絶対なり得ない存在だとか、バロンが勝てばバロンのストーリーになるんだとか、あの馬どうやって乗ってんだとか。
タイムパラドックスや世界線というよくある設定をこんなに上手に乗りこなしてる作品はじめて見た…
虚淵さんの脚本アニメは見たことあるけど、やっぱりこうして年単位でストーリーを作り込めるとなるとこんなに緻密な作りが可能になるんだね。
長期作品の良さって、キャラが心にちゃんと住んでくれるところだと思うのよね。
前々から後ろにちょいちょい映ってたキャラがメインに!?とか、ここでこのキャラが駆けつける!?とか、びっくりな展開でも矛盾せずちゃんと心をくみ取ることができる。
同じ結果に至るとしても過程が多いと少ないではまったく違う。
たとえばぬりえ。
同じ線、同じ枠内でも、12色で塗ったものと24色で塗ったものでは立体感、陰影、生気、全然違うよね。
絵って違和感がなくなればなくなるほどスッと受け入れやすいと思う。
「これ何?」とか「なんかわかんないけど変…」て思うと作品の奥まで考えが及ばないんだよね。
鎧武では徹底的に違和感を無くし、視聴者が作品の奥に触れることができる素晴らしさがある。
私が最初に「これスゴ!」と思ったのは、1話か2話あたりで主人公が「何のために戦うのか?」と悩むシーン。
主人公は「自分のために戦う!」と結論付けたわけだけど、この「〇〇のために」という考え方は結構大事だと個人的に思っていて、これを序盤で自然に織り込めるのはすごい。
「自分が戦うのを人のせいにするな。人が傷つくのを自分のせいだと驕るな。」
私はこういうふうに受け取りました。
「誰かのため」なんてことは絶対にありえない。結局自分に返ってくる評価や利益があることを無意識にわかっている。それを理解するなら「誰かのため」と言ってもいいんだろう。
私だって20歳ぐらいにようやく理解したことなのに、これを子供向けにやるのすごいよなあ。
多分子供は何かあった時ふとこのシーンを思い出して「こういうことか」と、スッと心に落とすことができるんだろうな。
あと、”外来種””生き物の進化”という設定はシビれました。
元々「善も悪もない。ただ在るべき姿でいるだけ」みたいなの好きなんですけど、外来種とか圧倒的にどうしようもないじゃん!!
ただ繁殖するためにどこでも根を張るようになっただけ、ただ種を運ばせるためにおいしそうな匂いを発するようになっただけ。
巻き込まれたらたまったもんじゃないけど、感情でどうにかなる問題じゃない。
このどうしようもなさが純粋な”人間vs人間”を生み出していて最高なんだよなあ…
争ってる場合じゃないのに考え方が違うとどうしても争っちゃう、人間ってそうだよね…わかる…(?)
最終的にあまり「インベス」という言葉を使わなくなり、「怪物」と言っているのが印象的でした。
ちょっと『正解するカド』みたいなところがあるかもね。
大筋のストーリーに関しては、こう、宇宙が始まり地球ができてそれから…みたいな、NHK地球ドラマチックを見ているみたいな感じになった。あと神話。
結構神話になぞらえてる部分があるのかなと思っていて、アダムとイブはそう言ってるようなもんだし、ユグドラシルは世界樹で、コージ、カイト、タカトラは古代神話のタイターンでもあるのかなって。
あと宗教の流れは詳しくないんだけど、リョウマが死んだシーンてキリストを表してるんかな~?って…
髪の毛、磔、復活(映画)っていうところでなんとなく。
コージが羽毛まみれになってフッカァ…てなってるやつはルシエル→ルシファー的な、仮面ライダー→オーバーロードっていうのを表してるんかなって。
左が希望、右が絶望っていうのもなんかそういう宗教とか神話とかが関わってるのかな??
全部私が勝手に考えてるだけなんで全部関係ないかもしれないんだけど。
マイとかコージとかは基本的に画面見て左側に立ち位置があることが多くて、エンディングの4人の立ち姿でもタカトラ←コージ←→カイト→ミッチっていう希望絶望グラデーションになってるなって。序盤からどんな意味があるのか考えてたけど、最初はみんな別々の方向を向いてるってことだけ表してるのかなって思ってて、だんだんみんなのストーリー内での立ち位置が見えてくるにつれてグラデーションがはっきりしました。
コージ、カイトの最終決戦ではカメラワークがぐるぐると回り、右も左もなかった。
どちらが希望でどちらが絶望かなんてわからないからなのかな。
コージとマイが向きあって未来について話した時、ピンショットなのにコージは画面左、マイは画面右でした。
っていうかこっちから見ての左右だから同じ方向向いてるシーンだとあっちから見た左右で考えればいいのか!?!?!?
まったく意味なかったら面白いね…
無意味だったら面白いシリーズでもうひとつ、”フェンス”。
OPでもフェンスが出てきたし、話の中でも人間関係がこじれるシーンだと謎一斗缶や謎木箱だけでなく絶対にフェンスが出てくるような。
ミッチがコージを左から右へ吹っ飛ばすシーンが2回?ぐらいあった気がするんだけど、それも吹き飛ばされた先のフェンスを一緒になぎ倒して、そこからミッチに反撃が始まった。
ミッチがタカトラをやるときもフェンス越しのアングルが不自然に入っていた。
最初のバロン同盟vs鎧武のビートライダー対決でも、鎧武のメンバーがわざわざフェンスの向こう側にいたり、カイトが裏切られてフェンスに追いやられたり。
OPでフェンスごとコージが砂塵になるのも「戻れなくなる!」ってことじゃん?
そういう意味で言うと”水面”もそうだと思うけど。
川辺や海辺の戦闘は誰か死ぬってことやん…?
噴水?でハセが死んだように。
で、OPで鏡のように見えるのは水面だよね多分。
呉島兄弟のとこで斬月が龍玄を止めるのは拒絶じゃなくて「危ないからこっち来ちゃダメ!」なんかな。
あとチームバロンは乾いた地面で踊ってるのにチーム鎧武は水バッシャーってなってて、最初は爽やかさ演出してんのかなって思ったんだけど、水の意味に気づいていくにつれめっちゃ怖くなった。
実際みんなオーバーロードによって死にかけてるし。
OP最後にバイクまたがるシーンのロックシードこえ~しブドウがちゃんと右端だし。
ぐっさん1話から不審者臭出してたけどあそこまでちょいキャラ的役割で何話も続けられるのは長期シリーズならではだよね。
絶対情報操作してるヤベー奴だよってわかるのに全然動かないからなんか別にいいのか…?って気持ちがちょっと湧いてしまう。
いわゆる神ってことでいいのかな?
アダムとイブにリンゴをあたえるのって神だっけ?
ヘビは円環を表しているからだと思うけど。
「お前のおかげで早く済みそうだ」っていうセリフとサッカー映画を見る限り、ぐっさんも戦いを早く終わらせたいんかなっていう印象。
コージは何でもないただの純粋な青年であるが故に近くにいる人の心の穢れを浮き上がらせてしまうし、「許してくれ」「許さないでくれ」「殺してくれ」「裁いてくれ」みたいなクソデカ感情を向けられてしまう。
これは本編+映画3本全てに見て取れた。
「俺のせいだ」から「みんなにそれぞれ心の弱さがあるんだ」になれたのはマイのおかげだよね。
「俺のせいだ」は無意識に周りを見下して「俺が守ってやる」になり、「守られる存在じゃない!」という反発を生んだ。
でもみんなそれぞれ何かと戦っている、自分もみんなに守られているという事実に気づけてやっと対等にマイと話せるようになったのかなって…
子供だけでなく大人の教育にもいいわねこの仮面ライダー鎧武って作品は…
全部じゃないけどまっさらな状態で感想とか考察とか書けたんでこれから他の人の考察とか俳優さん裏話とか漁ろうと思います!!!!!!!
ほんとは自分の仮面ライダー遍歴も書こうと思ったけど長いからやめようね。
ここまで読んでくれた人がいたらありがとうね。