無からお金を生み出した
価値ってなんだろう???
お久しぶりです。
ぐんと寒くなりましたね。体調どうですか?
私はあんまりよくなかったですがここ最近安定してきました。
痩せすぎだから太ろうねってお医者さんに言われたものの、落ち続ける体重と無い食欲に気落ちする毎日です。
さて、そんな私ですが、嬉しいことがありました。
みなさんBOOTHってご存知ですか?Pixivに登録してる人なら知ってるかもしれませんね。
BOOTHは自分の絵でグッズを作成し販売までできるサイトです。
自家通販やイベントに出品することも可能です。
自作のイラストを1枚アップするだけでグッズのイメージ画像が出来上がり、注文が入ると工場で実物が出来上がって注文者や発注者へ発送されます。
そのBOOTHで私はスマホカバーを出品しているんですが、
出品したその日になんと3件も注文をいただけました。
値段は出品者の自由で、私の場合は原価(本体の値段+運営サイトへのマージン+送料)で販売しているため、利益はありません。
しかしこの時点で原価ぶんとはいえ何千円もお支払いいただけるなんて、すごいことです。
お金出すほどじゃないなって思ったら買わなかったらいいだけですもん。
私が紙にボールペンで落書きしただけのものをペイント(あのペイント)と無料のアプリでいじっただけのデザインとも呼べない代物にまず”購入”という判断をしていただけたことが素直に嬉しいです。
しかし、更に嬉しいことが。
BOOTHの機能として、応援したいクリエイターに”BOOST”できる、というものがあります。
わかりやすく言えばチップです。
表示された価格のまま買うこともできるけど、あなたの気持ちを上乗せしてあげることもできるよってことですね。
この”BOOST”という機能で、今ご注文いただいている3件とも上乗せをしてくださっています。
タイトルの『無からお金を生み出した』とはこのことです。
もともと「なんか作るのって楽しいかもな」って思って、何を作るのかも決めずに便箋の裏に落書きをしたのが始まりでした。
落書きをスマホで写真撮ってアプリで透過して素材にしました。
特に難しいことはなく、素材を並べ替えたものを”デザイン”としてBOOTHへアップロードして完了です。
自分の感性をあまり信じていないので、アップロードする前は親友に言われた「100均感」という言葉を鵜呑みにして不安になりました。
どこがダメなのか具体的なことも言われずとにかくなにかを直してみる時間は「デザイナーさんやイラストレーターさんがリテイクされる時ってこうなんだな…」と謎の納得を得られます。
そこで他の人に相談してみたところ、まさかの高評価しかありませんでした。
フォロワーさんに至っては「買うんで発売始まったら教えてください」とか言うもんで、若干その方に向けてデザインを直しました。
そんなちゃんと売るつもりはなかったし、サイトに登録する以上まあ売れたらすごいなあぐらいの気持ちだったので、登録してすぐその方にURLを教える以外は宣伝も何もしませんでした。
売れても原価しか入らんし原価しかとらないとしても高いわこんなん。
そんな私のやさぐれハートとは裏腹に、フォロワーさんはBOOSTありで購入してくれた上に私が宣伝しないからと宣伝ツイートもしてくれました。
えっなんかめっちゃすごい…
語彙が吹き飛んでその時はそのぐらいしか思えませんでしたが、
多分価値を認められることで承認欲求が満たされたのかなと推察してみます。
同時に、「いいよ私にお金使わないで他の所に使いな…」という謙遜のような自己肯定の低さが表れる気持ちに苛まれました。
だってこれ”無”だったんだよ?材料も買ってないし技術を学んできたわけでもない。
それどころか昔から絵が下手で図工も美術も全然ダメでお馴染みの私がデザイン(笑)したとか言っちゃって。
…この自分の価値を理解できない感じ、どこかで既視感があるんだよなあ。
というか、考えなくてもすぐわかりました。
私の推しです。
私の推しはあまり褒められ慣れていないようで、褒められると速攻で謙遜&それ以上の褒め返しを行います。
他人が自分を卑下するとめちゃめちゃ否定するし、それなのに推し自身は卑下ばっかする。
多分卑下してる自覚もないんだろうな。
推しはとにかくオタクがお金出せない仕事ばっかりしていて、
無銭のイベントはしょっちゅうだし、接近もライブもとにかくお金がかからない。
一時期は私もツイッターで「推しの価値はもっと高い!」「他の人から見たら石かもしれないけど私から見たら宝石なの!」「誰かの適当は誰かの大切!」みたいなこと言ってキレてましたね。
これとかまんまそれ。名画なんて私は1枚もいらないし0円でも買わない。
なんか感想自体に感想をもらうことも増えて、「こんなこと言ってもらえたら○○さん(推し)も嬉しいよ」とかなんか色々お言葉をいただいたりしてたんですけど、
私は喜ばせようと思って感想を言ってるわけじゃないし、もし私と同じ気持ちの人がいたら個室居酒屋で2時間ぐらい「わかる…」「それな…」だけで会話してたい。
私の感じる推しの価値と周りが思っている(?)推しの価値の差に苦悩し、
そもそも推し自身の考える自分の価値の低さにも憤りを覚えました。
接近とかでただ感想言ってるだけなのにめっちゃ感謝されるみたいな。
なんかまあ一応ぼやかしておきますけどそのような現象。
「いや褒めてないから!感想だから!こんなんに感謝すんな!本気で褒めたらどうなっちゃうの!?死ぬの!?」
そんな気持ちが片隅にあり、褒め言葉をセーブするほどです。
ツイッターとかでもネタツイとしてSUKIを発散してますが、真面目に書いても同坦拒否だのガチ恋だの言われない環境がほしい。
私だって同坦拒否するなら垢作って他坦と閉じこもるしガチ恋ならオタクなんかせずに友達のツテで繋がりに行くわボケェ。
なんか話逸れましたけど、つまり推しの”仕事”に対して価値を感じていて、「受け取る代わりにお金を払うのはもはや等価交換、物々交換と言ってもいいと思っている」、ということです。
あのーなんかおじさんの顔が描いてある紙をさ、それを仕舞ってある専用ポーチから出すじゃん?でさ、お店の人に渡すわけ。
そうするとどうなると思う???CDがもらえるんだね。
欲しいものを欲しい人がもらう。物々交換の基本ですよ。
感想とかっていうのはそれの付属品みたいなもので、買ってる時点で価値は認めているし、出せるならもっと出したい。
産まれてきてくれてありがとうはオタクが自分の需要に推しという供給があることへの感謝だから。言葉と金は別だよ。
さて、ではこのブログの最初らへんからサッと読み直してみてください。
もうサッと、スッと、スクロールしながら雰囲気だけ。
見ました?????
サッとスッと雰囲気だけ見てもなんとなくおわかりいただけると思います。
「お前その下の文章読めよ」と。
なんだその、自己判断でお金を払ってくれた人に対してウジウジウジウジ…
自分の評価なんて関係ないんだから買ってもらった事実、感想に対して喜んで感謝してればいいんだよ!!!!!!
こうして無からお金を生み出したことにより、
私が推しや周りに感じていた価値観の違い、気持ちのズレなどを自分の実体験として感じることができました。
実はこうして文章にすることによって気持ちの整理をしているところもあり、評価されている自己を肯定したい自分と謙遜と卑下に絡まった自分がいまだ心の中で精神分裂を起こしています。
推敲もなにもなく読みにくい文章ですいませんでした。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。